#犬がいる暮らし
4月から保護犬の里親になった。
推定4、5歳の黒柴の牝。
きっかけは割愛するが、飼うまでの経緯は普通の家庭にありがちな話し合いがあり、実際に迎えるにあたってはそれなりの過程を踏み、黒柴は我が家の一員になった。
世の中にはびっくりするほど沢山の保護犬がいる。
理由はいろいろで野良犬の出産からブリーダーの多頭崩壊、年を取ったり病気になって飼い主に遺棄されたり、または飼い主自身の老いや経済的理由による飼育放棄や飼育不可能など。犬種も年齢も状態も様々な犬達が動物愛護センターと名を変えた保健所に収容されている。登録したボランティア団体や個人が殺処分を減らそうとそこから引き出し、仮親として里親に渡すまでの面倒を見ているケースが多く、日常の飼育や予防注射の摂取、必要な場合は医療措置まで施し、それを僅かの費用で引き渡してくださる。その費用は次の犬や猫を救うために当てられるのだ。
保護犬を飼いました、と言うと「ご立派な」人間のように思ってくださる方もいるが、間に入ってくださった方々が立派なだけで、本人達は立派でもなんでもない。
我が家は集合住宅でペット飼育には種々の規制があり、その条件下で探す必要があった。消去法で条件に合い、お見合いをしてやってきたのが今の黒柴である。
センターに持ち込まれた経緯は前飼育者が高齢だったらしい、程度のことしか分からず、そこに至るまでのストーリーや今までの犬生がどんなものであったのかは不明。
柴犬は飼い主以外懐かない、媚びないなど難しい犬種と言われているが、お手、お座り、待てなどは最初から完璧。加えて吠えない、噛まない。室内も荒らさない。
目も合わせるし、身体のどの部位も触れる。排泄は通常散歩時に行うが、小に限れば室内でも出来る。
今では我が家での名前を呼べば反応するが、生まれてから我が家に来るまでの名前もあっただろう。
推定5歳くらいなので、ニンゲンで言えば30代にあたるらしい。
まだ子供のような動きを見せることもあれば、達観したような表情でこちらを見ていることもある。
ある程度オトナな犬とニンゲンの大人二人が家族になって半年余が過ぎ、なんとなくチームワークが完成してきた。
特別贅沢はさせていないが、朝夕の散歩と食事を与える、という飼い主が最低限行うべきことはしている。
何しろ黒柴は眠る以外には単独では何も出来ないのだ。
ニンゲンは外出していても雨が降りそうなら急いで帰るし、天気予報は日に何度も見る。
暑い夏には連日5時に起きた。
普段いたずらしないが、留守番となると自分に与えられたラグやシートをぐちゃぐちゃにする。
家具や壁、靴などには何もしない。あくまでも自分のモノをぐちゃぐちゃにするのだ。
食卓にも登らないし、ゴミ箱も漁らない。
映画などで留守中に家がめちゃくちゃになるオーマイゴッドな状態にもならずに今に至っている。
朝起こしに来る時の遠慮がちな様子や、ごくたまに甘えてくる仕草を愛しく思う。
その頭の良さと和犬らしい遠慮深さが可愛いと同時にどこか哀しくもあり、ニンゲンの不在は減っている。
保護犬には悲しい過去の子が多い。男の人が怖かったり、人間と目を合わせられなかったり。
初めて犬を飼った私達はお行儀が良く、トラウマの少ない、少し淋しがり屋の黒柴に巡り会えた。黒柴がどう思っているかはわからないが、私達は非常に幸運だったのだ。
このまま普通に時が過ぎれば、黒柴は私達より先に死ぬのだろう。
その日が遠いことを願うが、この黒柴を見送ったら、私はきっと犬を飼わない。
そして父を亡くした頃のように、もしかしたらそれ以上に、黒柴の食器やタオルを見るたびにおいおい泣くことだろう。一緒に散歩している道を一人で歩くたびに涙ぐむに違いない。
お行儀の良い淋しがり屋の小さな黒柴に巡り会えた私達の幸運がなるべく長く続きますように。
生き物を育てる大変さと楽しさ、恙無い毎日の有難さを教えてくれてありがとう。