#犬がいる暮らし②
犬が来て一年が過ぎた。
「一年」という時間を犬が認識しているかはわからないが、ともかく私と犬の365日は過ぎ、旅行や悪天候の日以外はほぼ朝夕二回の散歩に行き、餌を与えた。
一年経ち、散歩の時の頑固さがなくなり、それ以外の態度も落ち着いたように思う。
犬種が柴なので、膝に乗るとかいつもベロベロ舐めてくれるなどの愛嬌はないし、よく笑う訳でもない。
大体は寝ているし、寝ている間に近くにいてやればかなり満足しているように見える。
時々目を覚まし「いるわね」と確認するようにこちらを見る。
とはいえ、一日犬に付き添う訳にもいかず、日常の外出はしなくてはならない。
が、出来るだけ不在は4時間程度にして、戻るようにしている。
やや長めの不在にはくるんとしたしっぽをあげて玄関までチョコチョコ走ってくることもあるが、ちょっとした外出だと顔だけあげて「あぁ、帰ってきたの?」という反応だったりもする。
撫でようとしても身をかわすこともあり、抱き上げることはかなりぼんやりしている時しかできない。
新しい我が家での名前はさすがに認識したようで、その名を呼べば(機嫌が良ければ)カツカツカツと爪の音をたててやってくる。
子供代わりとというよりは、もう少し主張もあるし、かと言ってそれほどワガママでもなく、同じ空間にいることで満足なように思う。
車にも良く乗せているが、いつのまにかソフトクレートから脱出してちょこんと後部座席に座っていることがある。
こちらは安全性を考慮しているのだが、自分だけ境界を設けられるのをよしとせず、対等にドライブを楽しみたいように思える。実際よく外を見ている。
車内の狭い空間に夫婦と犬。
そう、まるで映画「ハリーとトント」のように私達は同等だ。うちの犬はトントより頼り甲斐はないけど。
夜に外出されるのは変わらず苦手なようで、その際には相変わらずシートをビリビリにしたり、軽いパニックになるのかリビングをぐるぐる走っているが、帰宅すると「おかえりなさい、おかえりなさい、あーまた会えて嬉しい」と出迎えてくれる。
「出かけたからこんなにしといた」的な意地悪さが全くない。本来猫派の私は感心しきりである。
そしてビリビリシートを鼻先に突きつけると謝りまくる。可愛い。
展覧会や映画を観てお昼を食べたり、その後にゆっくりお茶や買物をしたり、という行動は「展覧会のみで帰宅する」が多くなった。
そんな小さな不自由も犬がいるうちは仕方ないし、いいじゃないか、と思うようになった。
このブログを読んでくださっている方はご存知かと思うが、思い立って「何か美味しいもの」を買いに行くのが好きな私の生活は一変した。
かといって手軽なものを買っている訳でもなく、既にご紹介したものを相変わらず買っている。
記事の更新が滞りがちなのはそんな理由だが、赴くことも続けて行くので、気長にお付き合いいただければ幸いである。
私はこの犬を愛してしまった。
片思いかもしれないが、私なりに間違いなく愛している。
健やかに毎日を過ごして欲しいと心から願っている。
お散歩中に会う犬たちや友人の犬と比べても、うちの犬が私にとってのNo.1だ。
そう、私は犬好きな訳ではなく、うちの犬好きなだけの愛犬家である。
おそらく最初の飼い主に可愛がられていたであろう犬に「何らかの事件」が起こり、保健所に持ち込まれ、ボランティア団体の手を経て我が家にやってきた。
犬は一年で7才くらい年を取るというから、推定5歳の犬は35才くらいでシアワセな生活が激変した訳である。
この一年の間にやや体調不良な日もあった。
過去が不明だから既往歴も不明。
大病でないことを願うばかりだが、たとえそうでも惚れた弱みで私が出来ることはしてあげるつもりだ。
人生も犬生も安穏なだけではない。
でもね、あなたの残りの犬生をお預かりしているから、どうぞ私達を信頼して元気に暮らして欲しい。
大好きだよ。